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人としての本体は思想(脳)だなと思った

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まとめ

タイトルの通り

思想は環境で培われると思った

人としての本体は思想(脳)だなと思いつつあります。
人の外面、手だの足だの顔だのところは、言ってみれば人が生き物としてあり続けるためのタダの入れ物で、人の内面、見えないところに人たらしめるものがあるんじゃないかと思いました。

世の中は恐ろしく暴力的な人だったりびっくりするぐらい優しい人など、いろいろな人がいます。
もはや当たり前すぎるのですが、いざ考えてみれば、生き物としては同じ人なのにもかかわらず、なんで人はお互いにこんなにも違うのでしょう。

この違いがお互いを幸せにしたりもすれば、争いを生み出したりしています。

私は今まで生きてきた中で培われた判断と行動が経験となり記憶として脳に蓄えられていき、脳に蓄えられてた経験の積み重ねが思想を生み出していると考えています。

ごたごた言っていますが、要は子供時代に何を見て、誰と一緒にいて、どのように過ごしたかで段々と本人の人生観というものが固まってくると思うわけです。
環境、の一言に落ち着くのだと思います。

この人生観が最終的に日々を生き抜いていくために変えられない考え方、つまり思想となるのだと思います。

人の外面ってただの入れ物だなぁと改めて

不思議なのが、思想というのは赤の他人が直接本人の脳にアクセスして見られない、ということです。
またもお前大丈夫か?と言われそうです。

でも考えてみてください。
人と人は会ってすぐにその人の思想をすべて理解できません。
また口で「俺(私)って〇〇の考えもってるから」と言われても、聞いている側はたいてい違和感を感じるものです。本当に言葉通りなのか、と。で、たいてい言葉通りではないはずです。

自分のことを一番わかっている本人でさえ、自分の思想を完璧に相手に伝えきれていないのです。
言語はある方向のみの見方で焦点を当て意志をつたえるものですので、いままでの本人の経験のすべてをまとめた思想を文字で表すには大変難しいことなので、仕方がないと思います。

そんな不思議だなぁとおもったことを踏まえて、人の本体というのはやっぱり思想(脳)になんだなぁと思いました。

変更履歴

2024/5/8

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