今回は人の悪が「嘘」であるという考えのもと、SNSを具体例に騙す人と騙される人の特性と関係性にスポットライトをあててまとめました。
章「参考にした本」の内容に沿って騙す人と騙される人、両者に対し悪性のナルシシズムの観点で考察しました。
ツイッターのプロフィール誘導コンサルを受けた内容を元にしています。
この記事のねらい。
- 騙される側にならない
騙す側からの防御のしかたを知ります。 - 騙す側にもならない
原理原則とまではいかなくても悪=「嘘」と考え方に基準をおくことで、
自身が無意識に悪へ染まらないようにします(無意識な闇落ちを防ぎます)。
大袈裟ですが、この記事があなたの人生をよりよくするための道具となることを願います。
目次です
結論
人の悪の実態は「嘘」です。
騙す人・騙される人どちらも自分自身に嘘をつきます。
他者を犠牲にするほうは「騙す人」です。「騙される人」を常に探しています。
犠牲者となるほうは「騙される人」です。依存的・小児的・怠惰的な特性をもっています。
嘘をつく原因は異常なまでのナルシシズム(自己愛)によるものです。
このナルシシズム(自己愛)が嘘を正当化させようとします。
「騙す人」は他人を犠牲にすることをいといません。
「騙される人」は「騙す人」の行為を自ら好んで受け入れます。
嘘が悪であるということは、その気になれば誰もが悪になりえる(「騙す人」「騙される人」になりえる)ことを意味します。
悪の人に対する確実な対策は「悪と感じた人に近づかない・関わらない」ことです。
参考にした本
私は大学の頃にロボットの研究に没頭するかたわら人の心にも強烈な興味が沸き、心理学の本を読みあさっていたところで見つけました。
今も暇を見つけては読み返しています。
私のバイブルです。
この本は「人の悪は嘘をつくことであり嘘をつく原因は異常なまでの自己愛(以後、ナルシシズムと言います)である」ということを述べています。
その異常なまでのナルシシズムがゆえに罪悪感すら感じないまま他人を支配・攻撃(人のせいにする=スケープゴート)する、といったことを個人から組織の観点(家族~戦争まで)まで実例と考察を繰り返しながら述べています。
今回は私のバイブルを元にお話ししていきます。
私達の身近にある悪=嘘の例
悪=嘘の実例で最も分かりやすいものがTwitterだと考えます。
Twitterは世界中で使用されているため、ここでは日本に限ります。
また、私も副業アカウントとしてTwitterをしている立場上、この章の内容はいつでも自分へブーメランになりえることを先にのべておきます。
私がTwitterに身をおいて感じたことはTwitterは善悪が入り混じったカオス(混沌)であることです。
実際の体験をもとにした本当に素晴らしい内容もあれば、一方で実績の真偽が分からない内容もあります。
匿名性の強さゆえに日ごろ身近な人には言えないような内容が人の心を良くも悪くも動かします。
その中でもたびたび問題になっているものがあります。
ビジネス系のアカウントです。
もちろんまっとうに情報を発信して商売をしている方もいます。
その方が発信している内容はテキストを介するだけでもそのまっとうさがすぐに分かるものです。
しかし怪しい・詐欺と言われてしまう方もいます。
私もその手のコンサルをいくつか受けたことがあります(お金を払うところまでは至っていません)。
なごやかなやり取りで終わったコンサルももちろんありましたが(単純にお互いのニーズが合わないだけでおわった)、今回そちらは焦点にあてていません。
怪しい・詐欺と批判をうけている方のコンサルはいま振り返ってみると案の定、と言う経験をすることができたと思います。
案の定と考えた内容を整理整頓した結果、次の内容が複雑に絡み合っていると考えています。
- サービスの提供者が自身のクローズな世界(LINE@などの1:1のやり取りを行うサービス)に引き込んでから話が始まる
- 開示されている情報が必要最低限でなく、説明が後出しばかりであった。
(外からみてもサービスの中身が何も見えてこない) - 実際のやり取りはコミュニケーションが一方的
(気がついたら話し手・受け手の立場が主従関係に化けている) - こちらの選択権を奪われる状況を作られる
- 個人のスキル、特性にあわせた提案をしない(できない)
- どこまでいってもマインドの植え付けに終始する
- 言動・態度が稚拙(礼節に欠ける、感情むき出し)
上記を踏まえたうえで一つの懸念がうまれます。
仮にお金を払ったとしてこれらの状況を生み出すサービスは適切な価格といえるのか、ということです。
私はそう思いません。
少なくともお金を払う側の私からみてGive-and-Takeの関係が成り立たないと結論付けたからです。
当時2日分のいくつかのコンサルをうけた直後の結論です。
しかし、この結論に至ることは簡単ではありませんでした。
コンサルのやり取りのなかで心を大きく揺さぶられたからです。
相手は当時の私の発言の矛盾をつき、言葉巧みに、声色を変え、強烈に私を納得させようとしてくると感じることは簡単でした。
しかし、そうと分かっていてもやり取りの中で自分の心をコントロールすることは簡単ではありませんでした。
そんなやり取りの中で、私はふとした瞬間に次のような疑問が立て続けに浮かぶようになりました。
「なぜ、この人はこんなに感情的になってるのか?」
「なぜ、この人は提案する内容のリスクを口頭説明だけで済まそうとするのか?エビデンス(資料)は?言っただろうで済ます気か?」
「なぜ、コンサルなのに個人のライフスタイルにあわせた提案ができないのか?」
これらの疑問を感じたおかげで私は状況を冷静に判断することができるようになりました。
社会人(会社のやりとり)なら当たり前のことをなぜ相手はしないのだろう、と物事を俯瞰してみることができたからです。
この考えが浮かんだあと、私は相手がどのような揺さぶり(と感じていたやりとり)に対しても動揺することがなくなりました。
その後は相手のいうことにただ相槌をうつだけになりました。
いま思えばなぜ私が冷静になれたのか、振り返ってみれば社会人の経験を積んだからであったからと考えています。
性善説を疑わない大学生の頃の私なら何の疑いもせずなけなしのバイト代を払っていたと思います。
いってみれば、私は「この相手は私のお金を払うに値しない」と判断できたのはタイミングが良かっただけということが分かりました。
ただただ運がよかっただけ、それだけだったのです。
人はサービスが価格と大幅に見合わないと感じるとき、たいていの人はそのサービスに対して不信感(Give-and-Takeの不成立感)を抱きます。
不信感は疑惑を生みます。
疑惑はサービスを受けた側の矛盾を抱かせます。
代金を払いサービスを受けた側は、すぐに(しだいに)ダマされた(嘘をつかれた)と判断するようになっていきます。
そして、不信感をもった側がサービス提供者へ出す評価として「こいつは詐欺だ」といった言葉となるのだと考えます。
一方でサービスを提供する側は上記の評価を受けた場合、今のサービスが提案する価格と大きく離れていることを認識し内容の再編を行う必要があることに気づく必要があります。
しかし、実際はそうはなりません。
彼ら・彼女らは評価を事実として認識しないからです。
むしろ「屈してたまるものか」という態度をとることが大半であると感じます。
Twitterをみてみると、批判をされた方々の反応でよくわかると思います。
サービスを提供する側(つまり加害者)のほうに視点を移してみます。
騙す人は自分自身に嘘をついている
先ほどの例はサービスを受けた側が受ける嘘(ダマされる側)の例でした。
嘘は被害を受ける側でイメージがしやすいものです。
ではサービスを与える側(ダマす側)はどうでしょうか。
目を移してみます。
すると、嘘をつく(ダマす)側も自分自身に嘘をついていることに気がつくことができます。
どういうことかといいますと、彼ら彼女らは事実を受け入れずひたすらに目を背けているということです。
彼ら彼女らは自身の立場をおびやかす明確な事実を与えられても、絶対に屈服をしません。
また、彼ら・彼女らは自分の世間体を守ることなら手段を選びません。
彼ら・彼女らは事実を認める事が自らの世間体をズタズタにし自身の存在を否定することになると信じているからです。
それぐらいになるならばと、自分を守るために事実を見ないふりをして自分の認識をずらす、つまり自分に嘘をついた方がましなのです。
彼ら・彼女らは自分の嘘を正当化するために、なりふり構わず攻撃をしかけます。
ここでいう攻撃は不特定多数の世間に向けての無罪の要求(自分の世間体の保護)であり、後述する「弱い方」に対する賛同の要求(自分の罪の肯定)です。
では何が彼ら・彼女らに対し世間体を気にさせ事実に目を背けさせる原因になるのでしょうか。
それは本人の異常なまでのナルシシズム(自己愛、文字通り自己を愛する心)です。
”異常なまでの"がミソです。
誰が何と言おうと自分は間違っていないと信じぬくことにおいてものすごい力をだします。
この異常なまでのナルシシズムが気味の悪い近寄りがたさを生み出します。
騙す人がやっていることを紐解いてみる
世間体に過剰に執着しつつ、事実を認識しようとしない彼ら・彼女らは実際何をしているのでしょうか。
とっかかりとして、前提となる考え方を参考書から引用します。
邪悪な人たちの意志の強さは驚くほどである。彼らは、頑として自分の道を歩む強力な意志を持った男であり女である。彼らが他人を支配しようするやり方には、驚くべき力がある。
M・スコット・ペック:平気で嘘をつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 第28刷 草思社 1997 p103
たったこの2行の説明であなたも感じることはあるのではないでしょうか。
具体的な例は省略しますが、文字だけのTwitterの世界でも垣間見ることができます。
じっくり、丁寧に彼ら・彼女らのTweet達のつながりを追ってみてください。
特に彼ら・彼女らの反論の部分に注目すると良いでしょう。
また、彼ら・彼女らが削除したTweet達を確認してみても良いでしょう。
大抵、あなたが抱いた不信感は他の方も感じているものであり、削除したTweetをスクリーンショットで公開頂いている場合があります。
より、上記の引用の内容を感じることができると思います。
文字だけ世界でまったく本人の表情が見えないにも関わらず何かしら嘘が定常性をもっていると感じるはずです。
そんな定常性のある加害者側の嘘を感じた時、あなたは次のように感じるのではないでしょうか。
「なんで頑なに事実を認めようとしないの?」
「なんでわざわざ自分の発信した内容を隠す(削除する)の?しかも黙って?」
「なんでそんなに攻撃的になるの?」
これらの疑問が彼ら・彼女らの謎を紐解く鍵になります。
その鍵の形(疑問に対する答え)はなすりつけの行為です。
横文字で言えばスケープゴート(投影)となります。
自身の罪を誰かに投影(なすりつけ)しようとします。
スケープゴートのターゲットは自分よりも「弱い方」になります。
ここで言う「弱い方」とは「依存的」で「小児的」で「怠惰的」である方です。
彼ら・彼女らはそんな「弱い方」たちを樹木からわき出る密に集まる虫たちを集めるがごとく甘く素晴らしい言葉であつめていきます。
LINE@やサロンといった閉じた空間に招き、自身に依存するような状況をさらに加速させていきます。
その途中で大抵は金銭のやり取りをともなうオファーをだします。
彼ら・彼女らは集まった虫たちがもともと「弱い方」であることを事前に把握しているからこそ平然と法外な金額をふっかけることもできます。
集まった虫たちは疑いもせずお金を払います。
そして金銭の契約が成立した後、彼ら・彼女らは言葉や態度をかえて虫たちが他の場所に目移りのしないように仕向けます。
彼ら・彼女らは閉じた空間に来た虫たちがより自分たちに依存するようにします。
以上のように「依存的」で「小児的」で「怠惰的」である「弱い方」たちを閉じた空間に集める。
開いた世界から閉じた世界へ。
そして「弱い方」たちからお金を徴収をする。
彼ら・彼女らは開いた世界の世間体を確保しつつ閉じた世界で虫たちをとどまらせることで、自身の嘘を証明できます。
完全でクリーンな世間体を成立させることができます。
この章の最後にもう一つ、彼ら・彼女らのもつ攻撃性についてですが、この記事を作成している時点で分かりやすいホットな具体例をあげれば訴おや誰かきそうなので次にいきましょう。
騙される人も自分自身に嘘をついている
一方で騙される人である「弱い方」も自分自身に嘘をついていると考えます。
つまり、「弱い方」は「騙す側」である彼ら・彼女らと同じく自分に嘘をつき悪のほうに身を置いたといえるのではないかということです。
彼ら・彼女らの被害者である「弱い方」は「依存的」で「小児的」で「怠惰的」の特性をもっています。
つまりひたすらに従順です。
「弱い方」は精神的に子供のまま大人になってしまったのではないか、と考えるほどです。
親に従う子供のようにも見えます。
そんな彼らをよく見ると、騙す人に対して非常に従順です。
真偽の分からない騙す人の言葉を疑うことなく賞賛の言葉で反応しています。
それほどに従順なのです。
騙す人である彼ら・彼女らに依存しきった「弱い方」は今いる閉じた空間に身を置くことに心地よささえ感じていると思えてきてしまいます。
一方で、この「弱い」性質は人が子供から大人になる過程でうすまっていくものです。
人は成長の過程で自律をしていくからです。
私達は自律をするために悩みや苦しみをともなうことを経験的に知っています。
そういった観点でみれば、もしかしたら、「弱い方」は自律の過程で発生する苦しみや悩みに耐え切れず頑なに現実を見ないようにし(自分に嘘をつき)、今の状態であり続けることを選択したのかもしれません(悪にうつった)。
ここで付け加えたいことは、「弱い方」がそのようになってしまった経緯はおそらく本人たちが成長する過程における環境的な問題によるものであり、本人の資質ではないことです。
私は環境的な問題(分かりやすい例は家庭内の問題)が「依存的」で「小児的」で「怠惰的」な人を生み出すと考えています。
そのため「弱い方」になった方々の過去を批判することはできませんし、するべきでないと考えます。
悪に対し私達ができること:関わらないこと
嘘は人の悪であり、以下の内容であることを述べました。
- 悪の実態は嘘であること。
- 人が嘘をつく理由は異常なまでのナルシシズム(自己愛)であること。
- そのナルシシズムは他人に自分の罪のなすりつける(スケープゴートをする)こと。
- 自分の罪をなすりつけるためなら他人を傷付けることをいとわない攻撃性をもっていること。
そんな中で私達が対策できることは何でしょうか。
結論から言ってしまえば、相当の覚悟がないならば悪(嘘つき)である彼ら・彼女らに関わらないことです。
繰り返しになりますが、彼ら・彼女らは第三者の大半がみて分かるような明らかな事実でさえ認めることはしません。
彼ら・彼女らは自分の世間体を守るためになら手段を選ぶことはなく、他人を平気で陥れることすらします。
月並みな言葉でいえば彼ら・彼女らの悪は一筋縄ではいかないのです。
人は瞬時に悪(実際は嘘)を感じることができても、証明することは非常に難しいものです。
覚悟をもって戦うとしても、相当の労力と精神を消耗することになるでしょう。
ましてや一人で立ち向かうことは推奨できません。
私のように相手の揺さぶりに対し、ただ相槌をうつまでにとどまるでしょう。
彼ら・彼女らのやっかいさは参考書を引用すれば次の表現が当てはまります。
邪悪性について語るときのむずかしさの一つが、その隠微なあいまいさである。
M・スコット・ペック:平気で嘘をつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 第28刷 草思社 1997 p141
事実、今回述べたような閉じた空間(LINE@やサロン)で法外な金銭なやり取りがあったとしても、参加した方々が納得した上で払ったのであれば、それ以上の詮索はできません。
彼ら・彼女らではなく、閉じた空間にいる「弱い方」なら助けられるのではないかと思うかもしれません。
こちらも結論は同じで相当の覚悟が必要であると考えます。
外の世界の方々が警鐘をならしても聞く耳を持ってもらうことは稀だからです。
そうなってしまえば本人の意思で閉じた空間にいることになるため、外の世界の方々は成す術がありません。
前節で述べたとおり参加した方々はもともと「弱い方」、つまり「依存的」で「小児的」で「怠惰的」です。
「弱い方」が閉じた空間にはいってしまえば甘え盛りの子供が両親に依存するように彼ら・彼女らと強固なつながりを持つようになります。
つながりを断ち切ることは困難です。
なんにせよ、閉じた空間にいる双方の方々に事実を突きつけても、付け入る隙もないというのが私の考えです。
一方で「騙されちゃだめだ!」「気を付けて!」と閉じた世界にいる見ず知らずの「弱い方」のために何度もあきらめず間接的に・直接的に発信している方々がいます。
彼ら・彼女らから攻撃を受けることも覚悟して、です。
結果、悩みや苦しみの環境に戻る勇気を取り戻した「弱い方」もいます。
彼ら・彼女らの強固なつながりをたちきっています。
語彙のない私には、本当に凄いということば以外うかぶ言葉が見当たりません。
私は悪の人たちから攻撃を受けることを覚悟するまでにはいきませんでした。
私の心は前述で受けたたった数回の問題のあるコンサルで大きく消耗したからです。
私はブロガーのはしくれとしてこの記事を残すことが精いっぱいです。
私は強い人間ではありませんでした。
ただ、最低限、私はこの記事を残すことでせめて自分自身に嘘をつかないようにしていきたい姿勢です。
騙す人に、騙される人にもならないために。
そして冒頭の内容と重なりますが、この記事を通してあなたも自分のおかれている環境(事実)を冷静に判断し、自分の人生にとって良い決断ができることを願います。
人間は真実を見なければならない、真実が人間を見ているからだ。
引用:名言集および格言集
ウィンストン・チャーチル
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