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設計してるのに本を読まない先輩方に衝撃をうける
私が大学院を社会人になりたての頃、研究生活では当たり前だった本を読む(もちろん工学書とかの専門書)行為が全くなされていないことに衝撃をうけました。
とにかく自分の今まで培った勘・経験・度胸(これをKKDという)のみで切り抜けようとする人しかいなかった。
地道に現象を追うために工学書を読むひとなんか課に1人いればよい方だった。
そんなわけで、(ものづくり・IT)エンジニアと名乗っていながら専門分野の説明をする場で引用を全くしないの、なんで?
口頭でも資料でも。
(結構まじめに研究して)大学院を出た身としては軽く絶望したわけです。
技術の継承だといってる割には
人手不足に拍車がかかっています。
どこも人が減ることはあっても、増えることはありません。
そんな中で「技術継承だ!」と叫ぶ管理職をよく見かけます。
でもなんですが、まったく上手くいっていないわけです。
私の前職・現職も例外ではありません。
あったりまえじゃん、本を読まないんだから。
引用欠乏症。
もはや継承どころの騒ぎではない。
技術の継承も最後は本を読んだ内容を残す(引用)ことだと思っている
「これはこうなんだ!」
「なぜですか?」 ←これが言えることが許される環境であるかが第一関門でもある
「いろいろトライアンドエラーしたら分かったからだ!ここに報告書がある!」
大抵、ここまでですよね。その後がないねん。
トライアンドエラーした結果、ものづくりならばどういった物理的な現象が影響の割合として大きかったのか、ソフトウェアならどういったアーキテクチャを考え、なぜその実装手段としたのか、とか。
報告書でそれらを知りたい。
色々な参考書なり論文なり公式ドキュメントをあさり、該当する箇所を紐づけ=引用していくしかないと思うんです。
引用ないと説明はふわっとしちゃうんです。
かといって別に100%の正解じゃなくてもええんです。
「私はこの文献にあるこの現象による影響が大きいと考えたからこうだ!」と言ってほしいんです。
ふわっとすることがいかんのよふわっと。
で、確からしさを少しでも上げるために引用がある。
じゃないと技術継承っていっても「なんかデータとかあるんですか?」およびデータに対する考察まであるにせよ、引用なしの考察じゃ結局は「それ、あなたの感想ですよね?」を許容しちゃってるわけです。
引用が欲しいのです引用が。
※「」の部分はひろゆきさんの引用です
なんで彼らは本を読まなくなっちゃった(引用しなくなっちゃった)のだろう
今さら何ですが、私が対象にしている「彼ら」は好景気を経験した50代前後の人たちの事をさしています。
なんでかといえば、それより前の方々が作った資料はちゃんと引用があるんですよ。
いわゆるレジェンドといわれる方が残した資料です。
例えば(会社の書庫の奥深くに眠っているボロボロ茶色の)設計標準とか。
そんな設計標準をパラッ開けば絶版になっているとはいえ”△△設計時の注意点”と書かれていればしっかりと数式で会話をすすめ最後には「○○電磁気学 P□」とか「○○材料力学 P□」とか書いてあって、ちゃんと設計根拠がばっちりなんです。
驚くことに、その分野を経験していない人に対してもスッと入るような表記にもなってるんです。
安心感が違うんです。
一方でな、彼らの作った資料は設計標準ちゃう。
ただの作業手順書や。
しっかも分かりずら。
かかれてること全部定性的だわ数式一個かいてないわ。
ふわっふわでどうにもならん。
で、私なりに考えました。
なんで彼らの時代ぐらいの資料は引用がないのかと。
それは大量消費大量生産の時代だったから、なんじゃないかと。
とにかく人口がバンバン増えて需要に供給が追い付かない時代。
求められるのは質より量。
新商品の開発だって技術的要素も製品のパラメータをちょろっと弄って外観だけ変えればもバンバン売れてしまってたんだって(カワッター調べ)。
そんな状態が当たり前になってしまえば「中身変えずして外観をガラっと変えるだけでも新製品」になるし、それでも売れてしまうのだから勘違いもするわな。
「仕事は体力的に超辛いけど金稼ぐことに関してはラクショーwww」みたいな。
そんな中では新しい何かを考えようとも思わないわな。
つくれば売れるんだから。
で、次第に頭は量が前提の考えで固定化されてしまい「何かを大きく変える」ことに対して物凄い抵抗感(恐怖)を自然と感じるようになってしまうのかなと感たわけです。
「何かを大きく変える」ためには今まで自分が経験したことないことを取り込むことがマストになります。
そういったなかでは自分の認識を広げる必要があります。
引き出しを増やす、と言った具合ですね。
どうするかといえば本を読む以外にないのかなと。今はイントロダクションのレベルならネットがありますけど。
まずは話の大枠(知識)だけでも理解して、製品に落とし込めるところを推定する。
そんな必要性に迫られると思うのですが、彼らにとってはガンガン作ってラクショーwwwに売れてしまったことが成功体験=足かせになり「なんでこんなことしないといけないわけ?昔はもっと楽にがっぽり稼げたのに」となってしまい、無理なわけです。
てか、「こんなこと」をやってくれれば御の字で、大抵は腰が引けるか新しいことをやる責任を負いたくない一心で強烈にイヤイヤ言ってくるかのどちらかになるのかなと。子供か。
もはやここまでくると組織の風土として定着してしまう。
閉鎖的な雰囲気になっちゃう。
人を心理的に後ろ向きにしてしまう。
これ、風土病だわな。
まじで病。
会社で本を読む行為は無駄(コスト給料泥棒)っいうけどさ
本当にそう思っている?思っているんだったらそういうあなたが潜在的な給料泥棒だと言いたい。
そう、お前こそ曇りなきコストそのものだ。
もちろん本を読む行為(引用)には工数がかかるよ。
でも、その工数はのちのちの後継者たちが道に迷わないための何物にもかえがたい道しるべになる。
そして、組織の共通認識になれる。
技術的な共通認識ができると一気に開発でも新規アイディアでも進捗加速するよ。
あと、新しいものに対する心理的な障壁さがるから、まずは調べてみる、ということが当たり前になる。
そうやっていけば、最後に組織の技術力ってやつが一気に有頂天になるよwww
ってことを私は大学の研究室のときに実感した(成功体験=よい足かせになった)のでいわせて頂きました。
P.S. 研究室時代の教授は私の恩師です
じゃあどうすりゃいいの?
冒頭の内容の結論になります。
あなたが所属するリーダーが量の発想に侵されてしまった人なら、もう救えません。
諦めましょう。
金が良いJTCならぶら下がるのもあり。生き抜くうえで少しでも多くの金を稼ぐことは大事です。あなたも定年まで逃げ切りましょう。
俺が組織をかえてやる!素晴らしいです。あなたは今までの組織のケツ拭きをしていただけるのですね。ありがとうございます。
ただ、それは茨の道です。自分の心をご自愛ください本当に!!
転職するのも良いでしょう。
私はこのパターン。
ではでは。
おしまい。
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