前置きを隠す(長いので)
・前置き削除(内容が無いよう、でした(2021/8/1更新時にデータ飛ばしてました))
「集中しろ」「自信をもて」「肩の力を抜け」
他人からのあたりまえな、でも納得できないアドバイスにうんざりしている。
そんなあなたに向けて作成しました。
この記事を読み始めたあなたが少しでも行動に移す気になって頂ければ、とても嬉しいです。
参考にした本はこちらです(楽天ボタンのみ移動できます(リンクの設定ミスってます))。
以後、簡単にするため「本書」といいます。
この記事は色々なところで本書を引用しています。
まとまった引用は引用タグ(blockquote)を使用しますが、部分的な引用は""(ダブルクオテーション)で表記します。
今回紹介する方法は誰でもできると考えます。
なぜなら、まだ完ぺきではありませんがいち個人の私が精度よくできるようになっているからです。
何の変哲もない一般人の私ができるのですからこの記事を読んでいるあなたにもできないわけがありません。
選ばれた人間のみに許された能力ではありません。
この表現は大事な言葉ですので本記事でしつこいぐらい使っています。
さらに付け加えると、今回の話は左脳・右脳の使い方でもありません。
パッと見、内容は似ていますが全く異なります。
まずは騙されたと思って、やってみて頂けると幸いです。
ではどうぞ!
目次です
この記事のメリット
- あなたが集中できない原因は、実は命令好きな「もう一人の自分」であることが分かります
- 自分の能力をフルに発揮するため、どうやって集中の状態に自身の状態を移していくかが分かります(私が10年以上実践した内容をまとめています)
結論
自分の能力をフルに引き出すには、自身にしてほしいイメージまたは言葉を渡し、自身を自由にさせることです。
自身を自由にさせている間、5感を最大限に使い自分を静かにさせ、自身にあれこれ命令させないようにします。
良い悪いを判断するから感覚が鈍る
結論で述べたことを順番に説明します。
人は良い悪いの判断をしなくなったとき、深い集中に入ることができます。
この経験は、記事を見ているあなたも経験があるのではないでしょうか。
断られたくない・成功したいという思いでいっぱいだった。
でも、いざ本番になれば頭の中は空っぽでただただ彼(彼女)を見つめて自分の想いを伝えていた。
気がつけば試験中は無我夢中で問題を解いていた。
ただただ時間まで必死だった。
前日まで発表手順・演出のタイミングを綿密に考え練習していた。
しかしいざ本番になると内容をクライアントに伝えることだけに夢中になっていた。
上記で書いたことは矛盾があります。
自分の求められている役割は成果(良い結果)を求められる場です。
大抵は成果がない(悪い結果)ことを強く拒否します。
自分が責任を持てばなおさらです。
にも関わらず、自分にとって、いざ本番になると肝心の成果が2の次になっています。
成果がどうでも良くなったわけではありません。
自分にとって成果の優先順位が1番じゃなくなったことが重要なのです。
とても不思議なことです。
なぜそんな心理的な変化が起こるのでしょうか。
そんな不思議なことを読み解く要素をお話しします。
2つの立場の自分を認識する
セルフ1とセルフ2
まず、あなた自身がある物事を行っているときの自分について定義します。
本書の筆者はMYSELF(マイセルフ)のセルフを取り出し、自分と自身の2つのセルフとしています。
今回の記事で根幹となる要素です。
立場 | 特長 | |
セルフ1 | 考え、自身に命令する私(自分) | 自身が行った結果を正しく判断していると思っている 判断した内容を自身(セルフ2)に命令したがる |
セルフ2 | 実際に動作を実行する私(自身) | 一度しっかりと経験したことは完全に記憶しており、完璧に再現ができる 経験を積み上げることができる 素直であり外からの情報の影響を受けやすい |
ここで答えがでます。
セルフ1とセルフ2とあるが、物事を上手くいかせるには、セルフ2を自由にして全てを任せればよい、ということです。
なぜならセルフ2は表に示したような素晴らしい能力を持っているからです。
さらに、セルフ2は誰でも持っています。
選ばれた人間のみに許された能力ではありません。
しかし、頭でわかっていても、ほとんどの場合はセルフ2に全てを任せられるような状態になることができません。
なぜなのでしょうか。
セルフ1がセルフ2をあの手この手で従わせようしてくるからです。
セルフ1は自身が行ったことを逐一点数付けをする評論家です。
本書の筆者は端的に次のように述べています。
"セルフ1は感覚より能書きを好む"
ティモシー・ガルウェイ:新インナーゲーム 初版 第5刷 日刊スポーツ出版社 2007 p136
セルフ1はセルフ2をまくしたてます。
私が本書の内容から私の解釈を加えることを許されるなら、セルフ1は本来、私の一部であるにも関わらず、あたかも完全な他者であると感じました。
例えばバドミントンで私の試合を見ている観客が「あの選手のフットワークは悪い」と言っていることと、私が自ら「私のフットワークが悪い」と言っていることは、どちらも私の外から自身を評価していることに変わりがないからです。
そういった意味でも、ものごとを成し遂げる時に自分が望む姿はセルフ2であるということになります。
セルフ1が本当の自分の能力の発揮を妨げている、ということに納得ができると思います。
セルフ1はセルフ2を支配したがる
さきほども述べた通り、セルフ1が本当の自分の能力の発揮を妨げようとします。
セルフ1は自分の行ったことを判断をします。
ここでいう判断は、自分の行ったことの良し悪し(評価)のことを言います。
良し悪しの結果から、次、セルフ2がどう行動したらよいかを決めます。
そして、次はこうしろああしろ、とセルフ2に命令をします。
セルフ2は基本、素直なゆえに言われるがままです。
本書ではテニスのレッスンを受けている生徒が自分で自身を叱咤する状況を具体例として説明しています。
この記事を読んでいるあなたも一回はセルフ1がセルフ2を支配したがることを実感した経験があると思います。
本書はスポーツ(テニス)を例としているため、別の例でお話しします。
(先ほどの章とはまた別の内容で)
私の経験を例にすれば次の内容になります。
あるセットで負けてしまったので対策を考えた。
だが対策を意識するあまり別のことは意識できず、結局はたて続けに負けてしまった。
対策に固執しすぎたんだ、じゃあ今度は固執しないようにしよう。
おかしい、結局また負けてしまった。
こんなに考えているのに何で上手くいかないんだ!
そうか、指が全然上手く動かないからだ。
俺の考えに指がついていっていないんだ。
それもそうだ、いつもよりコントローラーを全然うまくさばけていないじゃないか。
なんでもっと上手くできないんだ。
俺の指もろくに動かせないのか、情けない!!
自分にとって難しい問題に当たってしまった。
色々調べても全然分からない。
なぜなんだ。
そうか、集中できていないからだ。
そういえば教科書を開いたらすぐに他ごとを考えているじゃないか。
それでは駄目だ。
もっと集中するんだ。
集中集中集中集中集中集中。
…だめだ全然集中できない、イライラする。
そもそも俺は勉強ができないやつだったんだ。
じゃあ何をやってもこの問題は解けるわけがないんだ!
2つの例はパッと見、結果に対し分析を試み対策を考えているように見受けられます。
しかし実際はセルフ1(自分)がセルフ2(自身)に対しひたすらに口出し、命令をし続けるだけです。
セルフ2は素直さゆえにセルフ1のいう事を聞こうとし続けます。
セルフ2がセルフ1の言うことを聞こうとすればするほど、体はガチガチに固くなり次第に何もできなくなってしまいます。
何もできないセルフ2をみたセルフ1は、最後にセルフ2(自身)に駄目の烙印をつけます。
はたからみれば責任はセルフ2を一方的に責め続けているセルフ1(自分)にあることが明確です。
しかし、セルフ1(自分)は責任を何も感じません。
自分が正しいと信じて疑わないからです。
知識として、セルフ2を自由にさせてあげることが最も良いとわかっていながら、それをセルフ1が邪魔をする。
対策はあるのでしょうか。
本書の筆者は段階的に説明をしています。
対策のまえに-何も考えないことは難しいことを知る-
セルフ1は判断をすることで、セルフ2が自由でなくなり、最後は自らの動き・発想の柔軟性を失います。
対策はセルフ1を静かにさせることです。
セルフ1を静かにさせるとは、何も考えないことです。
しかし、言葉で言うことは簡単です。
本書の筆者は次のように、何も考えないことがとても難しいことであると述べています。
実験をしてみよう。読者は、本書を1分間机の上に置いて、「考える」ことを止めてみてほしい。ボーッとしている状態を、どのくらい長く続けることができるだろうか。1分? 10秒? 現実には何も考えないことがいかに難しいか、これで理解できたと思う。一つの考えを止めようとしても、それが次の考えを呼び、連鎖していくのが普通だ。
ティモシー・ガルウェイ:新インナーゲーム 初版 第5刷 日刊スポーツ出版社 2007 p62
この記事を見て頂いているあなたは何秒でしょうか?
実際にやってみると本当に難しいです。
私は大学時代セルフ1・セルフ2の考えを学び実行した時点で、3秒でした。
10年以上たった今も、3秒です。
10年以上たっても、変わっていません!!
何も考えないという事は、ネガティブなことはもちろん、ポジティブでもいけません。
どちらにせよ、ものごとを自分の指標で判断することになるからです。
判断の回路がONになれば自分の能力の発揮を妨げます。
ポジティブに関して少し深堀します。
前向きになることでもセルフ1はすぐにセルフ2を支配しようとします。
「やっぱりお前はやればできるヤツなんだ。」
この時点で判断をしてしまっています。
判断の回路がONになっています。
するとセルフ1はセルフ2に畳みかけるように命令をします。
「いいぞ、お前はずっとポジティブでいろ、そうすればずっとうまくいく。」
しかし、あるタイミングで1回だけミスをしてしてしまいました。
セルフ1はたった1回だけのミスをみて、セルフ2にこう言うでしょう。
「さっき一瞬でもポジティブになれなかっただろう。なんでずっとポジティブになれないんだ。いっただろう、ずっとポジティブだ。いいか、ずっとだ。例外は許さない!」
そしてまた集中とはかけ離れた雑念のなかに身を投じます。
以上のように、何も考えないことは難しいことを述べました。
難しいがゆえに、私達は何も考えないための段階的なアプローチでセルフ1を静かにさせる必要があります。
セルフ1を静かにさせる方法
セルフ1を静かにさせるためには、意識を今に集中させます。
意識を今に集中させるために、5感をフルに使います。
セルフ1を今にとどめ、アレコレ考えさせないようにするためです。
筆者は本書で"ボールの縫い目のパターンに心を奪われてみる"、"バウンドのたびに「バウンス」と叫んでみる"、"ラケット軌道に意識を集中して、感じ取る"といった例をだしています。
私達の日常シーンでも同様です。
私が実際にやっている例を紹介します。
身の回りから聞く・見るを多用しています。
仕事中、現場で作業している時は設備の音をただ聞く。
事務所にいるときは周りの音をキーボードをたたく音・クリック音・コピー機の音・会話をただ聞く。
資料作成時はPCのカーソルを見つめる、点滅の間隔の秒数を数える。
製品の品質確認時は製品の形状をじっと見つめる。
逆の場合、おそらく私達は5感を使っておらず、気がついた時セルフ1はセルフ2に命令の雨を降らせているはずです。
5感を使っていないときの一番分かりやすい例は「たら・れば」です。
以下の例です。
私は今回のテストで60点以上を取れなければ親からゲームを没収されることを約束した。
まだ半分も解けていない。
もし、このまま時間切れになったら…。
60点はおろか赤点だ。
これからは確実に勉強付けに日々にさせられてしまう。
もし、私は今やっているプレゼンを完遂すれば、大きな功績を残すことができる。
社長賞も夢ではない。
そうなれば来季のボーナスにも反映されるだろう。
絶対に失敗などしてたまるか。
上記はテストを例とした恐れや、会社の出世に関する野望の内容です。
共通点は、どちらの場合も5感を使っていないため、意識が今におかれていないことです。
判断の回路がONになってしまっています。
自ら考えを張り巡らすと、セルフ1はどんどん自由になってしまいます。
後は前述したとおりとなります。
結果、テストやプロジェクトは上手くいかなくなります。
そして「気持ちに整理がつかないせいで集中できなかった」、「雑念が強すぎたせいでプレゼンがうまくいかなかった」といった生産性のない反省をすることになるでしょう。
注意点を把握したうえでセルフ1を静かにさせたら、次はセルフ2に望む作業をやってもらいます。
セルフ2を信頼する(深い集中へ)
セルフ2に望む作業をやってもらう場合、セルフ2を信頼することが何より大事になります。
信頼は依頼を行うことで成立しやすくなります。
依頼なので「~~しろ」といった命令ではありません。
「~~してほしい」です。
決して具体的な指示はしないことです。
本書ではセルフ2に依頼するとき、"理想的なイメージをセルフ2に渡す"と述べています。
しかし私はセルフ2に命令でなく、依頼できるのであれば言葉でも良いと考えます。
セルフ2が自由に動くことができる内容であれば問題ないと考えるからです。
また、自身が行った行動の結果に対し評価をすることはヤボです。
自身がやったことが慣れない内容なら、スポーツにせよ、仕事にせよ、勉強にせよ、恋愛にせよ、もちろん初めは上手くいきません。
上手くいかないであろう事を分かったうえで、一度、セルフ2に依頼をします。
セルフ2に依頼後、実際に行動をおこします。
行動後、やはり上手くいかない、となるパターンがほとんどだと思います。
上手くいかない事実(あなたのありのままの姿)を認識しつつ、再度、セルフ2に依頼をします。
何度も根気よく依頼をします。
すると、セルフ2は行動した結果を吸収してくれます。
突然、自分が思っていないタイミングでやりたい事ができるようになります。
セルフ2はそれほど凄まじい能力を最初からもっています。
選ばれた人間のみに許された能力ではありません。
セルフ2の結果の吸収の凄さは赤ちゃんのつかまり立ちを例に説明すれば理解しやすいと思います。
赤ちゃんは何度もつかまり立ちしようとしては失敗します。
赤ちゃんが失敗したとき、赤ちゃんは自分がやったことに良い悪いを意識しているように見えるでしょうか。
もちろん、見えません。
赤ちゃんは、ただつかまり立ちがしたいと無意識(本能)で行っています。
体で失敗したという事実を感じているのみで、判断をしているようには見えません。
と思ったら、赤ちゃんはまた物をつかんで立ち上がろうとします。
最後に、赤ちゃんはつかまり立ちを成功させます。
赤ちゃんを例にした理由は、私達は誰でもセルフ2を持ち合わせていることを感じて頂きたかったからです。
別に特別な人じゃなくても良いのです。
セルフ1は何度も復活する(集中が途切れるタイミングを知る)
セルフ2を信頼しようと何度も諦めずに行動するとき、セルフ1は常に隙を伺っています。
あなたがふと自分が行った物事の結果に対して良し悪しの判断をしたとき、セルフ1はいとも簡単に復活します。
私達は赤ちゃんとは違い、大人になればなるほど自身が行動した結果に対する良し悪しを考えてしまいます。
セルフ2に依頼したことに対して1回でも失敗しようものならセルフ1がすぐに顔を出します。
隙があれば「やっぱり失敗したじゃないか」「だから私はダメなんだ」と決めつけます。
もう一度、5感をフルに使ってセルフ1を静かにさせる事ができればいいのですが、うまく使えない場合、泥沼です。
セルフ2は純粋ゆえに何でもいう事を聞こうとします。
そのためセルフ1の口うるさい命令を全て聞き入れ、簡単にキャパオーバーをしてしまいます。
体は固まってしまいうまく動かせず、何をやってもうまくいきません。
最後は自信を無くします。
私が何をやってもうまくいかないと感じるとき、よくやることは「また失敗した。落ち着け。本書に書いてあったぞ、考えるな、今に集中しろ」という命令をしてしまうことです。
1時間以上間をあけ、冷静になってはじめて、ああ私はいま頭で考えようとしていたんだと気がつきます。
はじめは全くうまくいきません。
その時は5感をフルに使うことでまたセルフ1を静かにさせることを繰り返します。
自分が深い集中になっていた事に、ものごとを終えた後で気づくと思います。
まとめ
自分の能力をフルに発揮する方法は次の2点です。
5感をフルに使用する
何かにつけて考え事をし評価をつける自分(セルフ1)を静かにさせる
あなたが思い描いたイメージまたは言葉を自身(セルフ2)に託す
自身(セルフ2)を自由にさせる
行った結果は5感をフルに使用してありのままで認識する
(同時にセルフ1を静かにさせる)
今まで特に述べてはいないのですが、自身が健康であることが前提です。
疲れがたまっている時はどうしてもパフォーマンスが落ちます。
では、最後に本書の筆者の言葉でしめくくります。
イメージは言葉に勝り、示すことは教えることに勝り、教え過ぎは教えないことに劣る
ティモシー・ガルウェイ:新インナーゲーム 初版 第5刷 日刊スポーツ出版社 2007 p38
長い内容にもかかわらず、読んで頂きありがとうございました。
あとがき
この記事は集中することが自分の能力をフルに引き出す、ということ述べました。
当たり前だ、と言われると思います。
私は大学時代、具体的に集中するためにはどうしたらよいか、ネットで軽く探してみたのですが、自分の求める内容はなかなか見当たりませんでした。
目に入る情報は「データに基づく集中力を出す方法○選」「○○を食べる・飲むと△△の成分が集中力を呼び覚ます」「耐えた先に見えるものが絶対にある」というスタンスで紹介された数えきれないくらいの手法や本人の我慢をしいる精神論でした。
私は大学時代、このような内容が本質的でないと感じていました。
もちろん集中力を出すきっかけになるものだとは理解していましたが、人は自身の外側・内側の影響で心が表情をだすものだと感じていたからです。
(当時はおぼろげでしたが、いま30代のおっさんになって明確に感じています)
大学時代、目に入る情報は自身の外側にある方法であり、常に取り入れる(習慣化する)必要があると考えていました。
これは大変なことです。
沢山ある方法を自分にあうまで試していかなくてはいけないからです。
私は次第に脅迫にも似た強制感が背中にのっかかった感じがし、とても息苦しくなりました。
「~~しないと!じゃないと集中できなくなるぞ。いいのかカワッター!?」と言った具合です。
また、自身の外側からの情報は、時代と共に常に移りゆくものです。
今までやってきたことが実は違っていた、という煽りにも似た情報をみるたび、私の心は疲れていきました。
「何が正解なんだ」と。
結局、私は自身の外側から取り入れた方法だけでは、集中を維持することは難しいとつよく感じました。
そこで人が本当に集中するためには、人の外側からではなく人の内側によるものではと考えるようになりました。
私は情報を探し、本書を見つけ内容を把握した上で実践をしてきました。
実践期間は私が大学の頃からはじめ10年以上になりますが、全くマスターできた気はしません。
私は心をもった人である限り、マスターはできないと感じています。
だからこそ、これからも続けていくつもりです。
以上の内容を、せっかくブログをやっていることもあり自分のためにもまとめることにしました。
以上です。
集中するという普遍的でつかみどころのないテーマに対し、ここまで読み進めて頂きましてありがとうございました。
本の紹介
本書は人が深い集中に入るためにはどうすればよいかを筆者のテニスのコーチングの経験をまじえて丁寧に説明しています。
私の大学時代からの愛読書でもあります。
本書は10年以上前に販売されているため、最近と言えば最近ですが最先端な手法でもありません。
(※私はオッサンですので10年前は最近です)
しかしながら、時は令和になった今でも通用する内容だと思っています。
私個人としては、人の根源に触れた内容であり温故知新の「温故」にあたる、今後もずっと使える知識だと考えます。
皆さんにもこの記事をみてぜひ実践頂きたいため、紹介だけにとどめます。
セールスライティングもしません。
物売る記事は別で作成したいと思います。
コメント スパム対応をしたつもり、コメントは残す方向で頑張ってます