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【学歴の価値】偏差値51_私立理系大学院卒の学歴は大事という話【劣等感を感じるあなたへ】

タイトル画像(学歴) 会社
この記事は約14分で読めます。

カワッターです。
暑いですね…。

今回は学歴の話です。
学歴に悩む方に送ります。
今回の記事は人を選ぶと思っています。

おそらく、この記事にたどりついたあなたも学歴について何か思うことがあってきたんだと思います。

そこで、この記事は学歴に関する4つの内容をまとめています。

  • 学歴の正しい解釈の仕方(学歴社会との区別の仕方)
  • 学歴の必要性(学歴に求められるものは何か)
  • 学歴は人の人格まできめていないこと
  • 学歴は将来を約束しないこと

私は社会人になって10年の節目を迎えています。
10年にもなると、実務の中で私はほとんど学歴を気にしなくなりましたし、周りの方も同様です。
でも、この年なってわかることは、学歴は表面上気にならなくなっただけで、まわりにまわって見えない力になって作用しているのでは、と感じるようになりました。

すると次第に「そもそも学歴とは何だろう」「学歴の本質的な価値は何だろう」と思うようになりました。
そこで、自分なりの考えをまとめることにしました。

最近になってTwitterをはじめ、ビジネス系インフルエンサーの方々が学歴に対してツイートしているのが目に入ったのも大きな要因です。
読み進めて頂けると幸いです。

…先に私の立場をはっきりさせておきます。
私は人生において学歴が大事、という考えです。
国立・私立に関わらず有名な学び舎ほど良いです。
競争を原則とする資本主義の中では、学歴は本人の価値を証明する数少ない手段だからです。

学歴と価値がむすびつく分かりやすい例として、こちらをご覧ください。
学歴と年収のグラフになります。

厚生労働省が発表した平成30年賃金構造基本統計調査です。
このグラフから分かる通り、男女ともに学歴が高い方が年収が高いという事実があります。
男女の性差が年収の差になっていることは納得していませんが。

つまり、学歴は価値の多様性が進められている今でも、いまだに直接お金にむすび付く価値として認識されていることを示しています。
より詳細を知りたい方は厚生労働省のページを参照ください。

だたし、学歴は自身の過去の証明であって、未来を約束するものではないこともくわえます。
人生のあらゆる面で有利にはたらく可能性が高くなる、というだけです。

と、偉そうなことを言ってしまいました、申し訳ありません。
じゃあカワッターお前はどうなんだとおもうと思います。

私自身、私立理系大の大学院卒です。
当時は偏差値51の大学です。
ふつうです。凡人です。
もちろん、大学の名前で他の方と比べていた時期もありました。
前の職場は大企業であったため、有名国立大学出身の方が非常に多く、自分と比べては劣等感に押し殺されていました。

そんな凡人の私も転職を経て社会人10年目になり、今は学歴に対する劣等感はまったく無くなりました。
学歴でマウントを取ってくる人に対しても何も感じなくなりました。
学歴の正しい捉え方と必要性・重要性を理解することができたからです。

凡人だからこそ、凡人がどうやって学歴と付き合っていったかを見て頂きたいです。

少しでもこの記事が読んで頂いている方の悩みを解決できればと思います。

ではどうぞ!

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学歴(自分の証明)と学歴社会(他人の評価)

H1画像(学歴)
McElspethによるPixabayからの画像

まずはじめに理解するべきことは、学歴と学歴社会が明確に違うということです。
あなたが学歴について悩む原因は、おそらく、学歴そのものではなく学歴社会であるからです。

学歴そのものは、本人の学びの証明です(どこで、何を学んだか)。
学歴社会は学歴(学びの証明)を他人が比較材料に使い、人と人の優劣を決定する社会のことです。
(他のサイトではもう少し一般的に解説していますが、比較であることに変わりありません)

学歴と学歴社会の区別は非常に重要です。
学歴と学歴社会を混同すると、自身が無駄な劣等感に押しつぶされたり、過剰に自信をなくしてしまうからです。

最悪、学歴を持たない方が学歴を持った方を攻撃するといった事態になりかねません。

学歴そのものに罪はありません。
学歴そのものは人の優劣を決めません。

もう少し詳しくします。

まずは辞書的な意味から…。

学歴とは。

学業に関する経歴。

引用元:広辞苑無料検索

何とも広いですね。

学歴は小学・中学・高校・大学・大学院・博士といった過程の中で身につけた学びの証明(歴)です。
本人が今までどこで・何を学んだかを示すだけです。
それ以上でも以下でもありません。
やはり、学歴は無垢で純粋な存在であることが言葉の意味からたどっても分かります。

一方で、学歴社会となると、他人が本人の学歴を利用するため話が変わります。
就職で、ご近所さんの世間話で…この記事を読んでいるあなたも覚えがあると思います。
学歴は他人の評価を受ける事で自分そのものの価値に変わっています。

ここで問題ができます。
学歴によってコンプレックスを抱えてしまう、学歴の差が他の人と比べ人生の成功の差であると思い込んでしまうことです。

この問題は、ほとんどの人が学歴社会と上手くつきあっていく方法を明確に教えられない、または身に着けないまま、高校・大学・社会人として進んでしまったことであると考えます。

だから「有名な高校・大学に行けば大企業に入りやすくなり胸をはった人生を送れる。」といったような、本質をとらえていないゆがんだ解釈ができ上がってしまうのではないかと考えてもいます。

学歴社会とうまくつき合っていくためには、まずはじめに私達が競争を運命づけられていることを受け入れることです。
次に、競争社会が学歴に何を求めているのかを知ります。
さらに、学歴そのものが個人の全て(人格などパーソナルな部分)を決定していないことを知ります。
最後に、学歴は過去のものであり、社会にでれば一度リセットされることを知ります。

次の章から説明しています。

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自身が競争社会にいることを受け入れる

H2画像(学歴)
caitlynnmcconnellsmitによるPixabayからの画像

唐突ですが、この国は資本主義です。
競争を義務づけられた社会です。
分かりやすいところでいえば受験戦争といったように、学歴を手に入れる道にいても例外はありません。

そのため、まず自身がしないといけないことは「私は競争社会に身をおいている。」という事実を受け入れることです。
たった、これだけです。

しかし、当の本人からすれば、「私は競争社会に身をおいている。」という事実を認めることは困難であると考えています。
「競争社会において学歴がすべてではない」という考えが出てくるからです。

この考えは間違ってはいませんが、起業(フリーランス)をしており学歴がかすむくらいの実力持っている方(デキる人材)のみあてまはるものです。
この記事からそれてしまうため割愛しますが、学歴を得るよりもはるかに難しい、ということも付け加えます。

競争社会において、学歴はないよりもあった方が有利です。
他者は学歴に対し一定の価値を認めているからです。

一定の価値については次の章で説明しています。

他者は価値を認めているからこそ、学歴が競争社会で自分と他人の優劣の決定に使われます。

そのため他人を納得させられるだけの要素をもたない私のような凡人タイプの方は「競争社会において学歴がすべてではない」という考えが8割方の不正解であることを早い段階で知るべきです。

では、他者からみて学歴はどんな価値があるのでしょうか。

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競争社会が学歴に何を求めているのか(2つ)

H2画像(学歴)
Dorota KudybaによるPixabayからの画像

私達は競争社会に身をおいています。

競争社会は学歴に対して2つの価値を求めています。

1つ目は学歴そのものの価値、2つ目は他者から見た学歴の価値です。

学歴そのものの価値(「論理的な発想ができる」)

困難な事に対し解決する手順・実現手段を考え実行できることを示します。

これは本人が「論理的な発想ができる,」ことの証明となります。
最近よくテレビ・ラジオでよくでるロジカルシンキングです。

論理的は発想ができることは5W2H(2hはHowとHow much)を元にしたコミュニケーションの基礎ができている期待値が高いことを意味します。
この期待値は、特に企業のような組織行動を前提としたところでは、コミュニケーションの基礎である報連相(報告・連絡・相談)を円滑にできる可能性が高い、という価値になります。

企業は学び舎で学んだ内容を直接業務に使ってもらうことを前提としていません。
学んだ内容よりも、年齢差の大きくなりがちな昨今の情勢を踏まえ、メンバーとのコミュニケーションを円滑に行う能力のある人を望んでいるからです。

また、現在の日本の教育システムでは学歴は高ければ高い程、論理的な発想ができる人材として見て頂けます。
学び舎が有名・無名は関係ありません。

他者から見た学歴の価値(「継続して人並み以上の努力ができる」)

結論から言ってしまえば「継続して人並み以上の努力ができる」ことを示します。

こちらは他者の要素がはいるため、まえおきが長いです。

他者から見た学歴の価値は言葉通り、他人からみた自身の学歴の価値です。
ザ・日本の学歴社会といった内容になります。

「学歴そのものの価値」とは違い、「他者から見た学歴の価値」は自身の学歴の価値をすべて他人が決めます。
学歴は自身と他人の比較材料に使われます。
レッテル付けのようなイメージが分かりやすいと思います。

例えば、就職活動の場合2020年になった今でも「他者から見た学歴の価値」が認められています。
特に、大企業で有名大学出身の従業員を経由してふたたび同じ大学の人材を確保するリエゾン制度は非常に分かりやすい例です。
それほどに「有名な学び舎か」という知名度は非常に大きい要素となります。

他にも受験シーズンが顕著でしょう。
ある日、親戚やご近所さんが「あら、今年受験ね、どこをめざすの?」ときかれたり、「え!?○○高校!有名じゃない!」「あら、××大学?国立の△△大学行けなかったのね、残念ねぇ。」といったやり取りのあと、気がつけば自身が通学している高校・大学があれよあれよとご近所さんに広まっている…。

この記事を見ているあなたも経験があるのではないでしょうか。
この国では学歴を質問する人が驚くほど多い事実に気づきます。

つまり、皆、お金と同じように学歴の価値を認識していることになります。
価値を認識しているからこそ学び舎が有名なところか、つまり偏差値がいくつか数字で優劣をつけたがります。

なぜ、他者から見ても学歴に価値があるか。
いたってシンプルです。
簡単じゃないからです。
この国ではだれでも「有名な学び舎で学んだ」という学歴を手にすることはできないからです。

では「他者から見た学歴の価値」で学歴は何を見られているのでしょうか。
それは「継続して人並み以上の努力ができる」ことの確からしさです。
もっといえば、「継続して人並み以上の努力ができる」証明を見られています。

知名度のある学び舎は基本的に試験が難しく、入学が困難です。
試験合格のための傾向と対策はあると思いますが、人並み以上の努力と継続性を求められることは間違いありません。
(ごくまれに天才的に要領が良い人もいますが)

そのため、知名度のある学び舎に入学した時点で「継続して人並み以上の努力ができる人」という認識で、長いあいだ自身を見てもらうことができます。
長いあいだ見てもらうことで「継続して努力ができる人」という証明になります。

企業から見た人材確保の面でも、有名な学び舎の出身者は早い段階で継続して努力ができ人として見るため、採用側としても途中で投げ出すことなく業務をつづけてくれるであろうという解釈が入ります。

企業は学歴の高い人のほうが採用リスクで低い傾向にあると感覚でわかっています。

他にも、会社の昇進の場面で実力がまったく同じメンバーから1人選出するような場合、人材を比べるための心理的な要素として有名どころの学び舎の出身というのは非常に好材料になります。
偏差値と言う目に見えてわかる比較の要素だからです。

学歴が後の方にいけばいくほど、学ぶ内容も高度になっていくため評価は顕著になります。
(有名小学校よりも有名大学の方が企業(他者)から見て評価しやすい)

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学歴はその人の人格そのものにはならない

H2画像(学歴)
Jose Miguel GuardeñoによるPixabayからの画像

競争社会は学歴に対して2つの価値「学歴そのものの価値」「他者から見た学歴の価値」を求めていることを述べました。

ここで一つ注意して欲しいのは、学歴が人の人格そのものを決定しているわけではない、ということです(影響はさせますが)。
有名な学び舎を入学・卒業したからといって、イコール人として成熟しているとはなりません。

よく、学歴に対する見方を勘違いをされている方を見かけます。
高い学歴を持った人=人としても素晴らしい、と言った具合です。

非常に極端な例を示します。
「お宅の息子さん、□□で溺れそうになった人を助けて表彰されたんですって?さすが△△大学出身は違うわよねぇ。」

私が意図したのは本人の人格に関する話の根拠に学歴をもってくることです。
私はこのような旨の発言に常に違和感を感じています。

例で言えば、溺れそうになった人を助けることと△△大学出身であることは、明らかに関係性がありません。
べつに有名△△大学出身じゃなくても、誤解をおそれずいえばFランの大学でも、人を助けるこころがあれば助けられるからです。
話を盛り上げる材料にするとしても、その発言をしてしまっている時点で学歴に対する見方が誤っているとしか言えません。

学歴と人の人格を直接結びつかせる考え方は無駄に自信を追い込んでしまいます。
「私は△△大学にいっているのだから、人さまからみて恥ずかしくない行動をとらなければならない」といった具合です。
どんどん自身の行動や考えを無意識に制限してしまいます。
最悪、精神を病んでしまいます。

また極端な例を示します。

「あいつはFラン××大学だから毎日ともだちと夜更かししてあそんでいる。」
「あいつは有名△△大学なのに毎日ともだちと夜更かししてあそんでいる。」

どちらも間違いです。
Fランだろうと、有名だろうと毎日夜更かしして遊びたいときはあります。
自身が何に興味をもち、何を望むかの問題です。

しかしながら、学歴と人格を結びつける考えを一度でも持ってしまうとぬぐうことは非常に難しくなります。

そのため、せっかくここまでこの記事を見ているあなたには、学歴と人格を結びつける考えを持っている・いないに関わらず、正しく学歴を見て頂きたいと切に願います。

上記で述べた通り、学歴は人の人格そのものにはなりません。

学歴は「論理的な発想ができる」「継続して人並み以上の努力ができる」ことの証明をしているだけです。
他のことは何も証明できません。

彼・彼女は東大までいったからなんなのか。
彼・彼女は地方の無名私立の高校出身でおわったからなんなのか。
彼・彼女は「ちょっと5W2Hが細かすぎるところがあるけど、理路整然と話ができる人」であり、「ちょっとボキャブラリーが少なくて話が飛び飛びだけど一生懸命伝えようとしてくれる人」であり、有名な学び舎出身であれば「たくさんの人から頑張ったんだねと思ってもらえる人」です。
彼・彼女の素質や性格とは一切関係ありません。

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学歴は過去のもの(学歴は自身の将来を約束しない)

H2画像(学歴)
TentesによるPixabayからの画像

最後に、学歴は自身の未来を輝かせるものではないことを述べて終わります。

学歴は万能ではありません。

有名な学び舎に入学した経験は大きな成功体験・実績となり、自身に大きな自信を沸かせてくれます。
そんな学び舎を卒業すれば、卒業証書と共に学歴が授与され、社会的からある程度の評価を頂けます(2つの証明)。

では、社会から評価を頂ける学歴は近い将来、社会にでたら何ができるのでしょうか。
企業なら毎月の給料が学歴におうじた金額で得られる、以外にです。

おそらく、ほとんどの人が何もできない事を知るでしょう。
かりに理系・文系の有名な大学までいき高度な専門知識をそなえたとしてもです。
社会からみて、学んだ専門知識そのものが他者から見て価値になりえるかといえば、ほとんどがそうでないからです。
実際、学んだ内容をそのまま使える場所に巡り合える可能性は相当に低いです。
(逆に、学んだ専門知識をそのまま使える場所にたどり着いたら、相当の幸運といえるでしょう)

結局はまた新しい場所で学びなおしです。
学歴を得る途中で学んだことはほとんどの人にとって、過去のものになってしまうでしょう。

一方で、学歴は過去のものになるなら、役に立たない無意味なものになるんじゃないかと思われる方もいると思います。
給料は学歴に応じて上がるといえど、起業(フリーランス)の方がより学歴を有効に使えるじゃないか、はんたいに学歴が無くたってたくさん稼いでいる人はいるじゃないか、という考えも浮かぶでしょう。

学歴は無意味ではありません。
むしろ逆です。
くどいですが、学歴は「論理的な発想ができる」「継続して人並み以上の努力ができる」ことの証明です。
言いかえれば、自身が経験もしない課題や問題にあたっても、みずから解決するための手順・手段を考え抜き、行動を起こす力であることの証明でもあります。
つまり、学歴は社会の荒波を生き抜くために最も必要な能力であると差し支えないといっても良いと考えます。

また、人は社会にでればかならず他者との関わりを持っていきます。
そんな中、学歴がないよりもあったほうが、サラリーマン・起業(フリーランス)どちらの場合も自身を有利な展開にしてくれやすくなることは間違いありません。

組織の中であろうと、たった一人であろうと、当事者として見えない学歴の証明の力に支えられることを実感することになるでしょう。
また自身が他者の立場としてふるまうとき、学歴の証明の力を強く感じることになるでしょう。

以上です。

長くなりましたが、親身に読んで頂きありがとうございました。

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