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子供の自立と自律に向けた育児における重心について考えた

この記事は約5分で読めます。
まとめ

子供が一人前となったと言える時は自立・自律ができた時。
自立は自らの衣食住の面倒をみつつ、日々の社会生活を行えること。
自律は日々押し寄せてくる外乱(問題や脅威)に対し、解決に向け自分で筋道をたて、実行できること。

親は子供の自立と自律に向け、母・父でしかできない役割を担っている。
親は子供に行動と口で「一人で生き抜くために伝えなければいけないこと」を示さなければならない(自分に特大ブーメラン)。
そのためには、親は子供の自立・自律におけるポリシーをもつ必要があり、それが育児においる困難に対しても揺るがない「育児における重心」になるのだと思う。

背景

子供をもつ親にとって、子供が人として自立・自律することは、子供を育てた親にとって何よりも喜ばしいものと考えます。
この記事を書いている時点で私の子供はまだ小さいですが、それでも自分が教えたことができてくるようになると、とても嬉しいと思えるようになってきました。
自立・自律であれば、その喜びはさらに大きなものになると思います。

とはいえ我々のような親の現実は、日々繰り返される仕事, 家事であり、その上で子供の身の回りの世話があり、さらに(良い意味でも悪い意味でも)周りの関係者の干渉があるわけです。
そんな中では、子供の自立・自律について偉そうに話したところで、目先のことでいっぱいいっぱいになるため、言ったことは絵に描いた餅に感じられるでしょう。
私も例外ではありません。

しかしながら、仕方がないことであるにしろ、最近は目先のことに集中しすぎてしまい親として子供の将来をどうやって過ごしてほしいか、全く考えることなくすごしてきました。
もちろん何も考えがないわけではなく「健康で思いやりのある子に育ってほしい」とか漠然と考えてはいました。

ただ、自分的にイマイチ中身が見えないと感じるようになったため、より深堀していきたいと感じるようになったため、考えをまとめることにしました。

自分がこの記事を書くことで私自身にデジタルタトゥーをまた1つ増やすことになりました。
ハイソコ笑うとこ!

子供の自立・自律とはなんだろか

色々考えていたのですが、結局はタイトルの通りです。
子供の自立・自律です。
子供が親元を離れ、一人で社会に生き抜いていけることは、この2つが不可欠ということで落ち着きました。

では、自立・自律ってなんなんでしょうか。
辞書的な意味もありますが、もう少し私のブログテーマ「生き抜く」の観点で言葉を変えていきたいと思います。

自立は自らの衣食住の面倒をみつつ、日々の社会生活を行えること。
自律は日々押し寄せてくる外乱(問題や脅威)に対し、解決に向け自分で筋道をたて、実行できること。

これって私が一人暮らししていた時を振り返ると、自立面で全くできていなかったと思います。
過去記事参照:奥さんの料理の10倍くらい酷い

育児における親の役割

これも一言で言えば「子供の自立・自律にむけて親が行動と口で根気よく子供に示してあげる事」になるでしょう。

特に親の行動は最も大事だと考えています。
子供は親の行動を思った以上に見ているためです。

つまり、親がしっかりしていなければいけない、という前提があるわけです。
父・母で仕事, 家事の負担バランスは異なりますが、本質的には男女関係なく、親自身が自分の衣食住の面倒ができて、都度訪れる困難にたいして他の誰に責任をおしつけずに解決できなければならないのです。

ただ、これって親にとって最もしんどいことなんじゃないかとも思っています。

私自身感じている事なのですが、行動で示すってメチャメチャ大変です。
体力的, 精神的な面の両方です。
毎日の生活を維持しながら育児をするのは本当に大変です(詳細は世に沢山出回っていると思うので割愛)。

育児におけるポリシー

現実問題、「子供の自立・自律にむけて親が行動と口で根気よく子供に示してあげる事」を完璧にこなせる親はいるのでしょうか。
いやいやほぼいないでしょう。
私が一人暮らししていた時を振り返ると、自立面で全くできていなかったと思います(2度目)。
過去記事参照(2度目):奥さんの料理の10倍くらい酷い

であれば、何が必要かといえば、親としての育児におけるポリシーなのだと思います。
このポリシーは「健康で思いやりのある子に育ってほしい」といったざっくりしたものではなく、子供の自立・自律におけるポリシーです。

「ひとりで生きていくことは、前提として洗濯・掃除・料理ができるようにならなければいけない」であったり「ひとりで生きていくことは、突如として襲ってくる脅威や問題にあたっとき、ものごとを筋道たてて考え、解決のための手段を考えられるようにならなければいけない」といった具合です。
今のところ私はこの考えです(一つの内容が長いのでこれ以上は増やせなかったりします)。

育児における重心

そんなポリシーがあれば、今後、育児における数えきれないトラブルがあったとしても、「自分が親としてどうしたいか」がぶれにくくなると思います。

ぶれにくさは心理的な安定にもつながりますので、それが「育児における重心」になるのではと考えています。

「 育児における重心」は、親自身の課題を認識しやすくなり、課題解決のための行動が子供にそのまま映り込むため(親の姿をそのまま見るため)、お互いに良い影響が出てくるのではないかと思います。

変更履歴

2024/1/7

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